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8月30日
バークリーホームステッドロードハウスから40㎞~マウントアイザから60㎞ 走行470㎞
朝、日の出とともに起床。
水汲み場にはいつものレンジャクバトの群れ。乾季で水場が貴重なのか、ここで喉をうるわしている様子だった。
今日はひたすら東進。周りは相変わらず単調な景色が続く。
しばらくぶりの360°地平線。一見するとかなり遠くまで見渡せる気がするが、人間の身長の高さから見える範囲は実際測ってみたら、せいぜい5㎞位。
このサイトで見てもやっぱり5㎞くらい。http://keisan.casio.jp/has10/SpecExec.cgi
あと数時間走ればクイーンズランド!というところで道路工事に遭遇。
交通量が少ないので信号待ちはないが、ダート道を走れねばならないうえにやけに距離が長い。体感で10㎞はある感じ。
荷物満載なのでフラフラになりながも慎重に走ってなんとか転ばずに通過。
・・・そして、昨年以来のクイーンズランド州に突入!
地形は平原地帯からなだらかな山地が続く風景に。
3時少し過ぎに鉱山の町、マウントアイザに到着。
PCの電池が完全に無くなっていたので図書館で充電しようとしたが、閉まっていて入れず。
仕方ないのでビジターセンターで電源を使わせてもらってある程度回復。
ビジターセンターにはこんな銅像。さすが鉱山の町。銅・鉛・亜鉛・銀鉱石が採掘されるらしい。
このあとスーパーで生鮮買い出しして先に進む。
昨日はかなり走ったので早めに日没前に終了。
タンパク質が恋しくなったので骨付きラム肉ステーキ500g! 食べてたら箸が真っ二つに。なんだかなぁ。
8月31日
~ウイントン手前95㎞ 走行315㎞
ここから目的地のマニラまではぶっ続けで走りとおせばおよそ3日の距離だが、先を急ぐ必要もないのでゆっくり走る。
キャンプ地から40分ほど走ったマウントアイザの隣町(と言ってもその間121㎞)、クロンカリーの図書館で2時までくつろいだ後、ようやく出発。
今回走る内陸地帯は沿岸部と違って人口希薄地帯なので町と町の間隔が長い。
たまーにある町も給油所、パブ、食料品店などが1件づつしかない、ドラクエ世界の町のリアル版といった感じ。
特にこれといった見どころもなく、ただただ広い世界を延々と走り続けた。
夕方には久しぶりに空に雲。
日没寸前でトイレ付きのパーキングを見つけたのでそこでキャンプ。
NT準州は夜でも暑かったが、この辺からは涼しくなってきてだいぶ寝付きやすかった。
出発からおよそ2週間、手袋と長袖上着の隙間の手首はかなりの日焼け。
まめに日焼け止め塗っていたが、それでも黒くなった。(痛みはなし)
やはり恐るべし、オーストラリアの紫外線!
8月28日
パインクリーク~エリオットから35㎞ 走行550㎞
実は昨日の夜走っていて尾灯が点かなくなっていたことに気付く。
オイル交換直後に切れるとは何とも運が悪い。
本日はNT準州で2番目に大きい町のキャサリンを通過、この先バイクの整備ができそうな大きな町はしばらくないので、しっかりと整備を済ませておく。
町に一軒だけあるバイク屋で見てもらう。ついでに、ずっと放置していたメーターパネルのバックランプも交換。
これでバイクは万全、午後から南下スタート。
途中、給油に立ち寄ったロードハウスにてコーラ飲みながら休んでるとこんな片田舎で日本語!?が聞こえる。
…と思ったらトラックの「バックします」の自動音声。日本の中古車もこっちに入ってきてるのね…。
ごっついルーバー(カンガルー等の対動物用バンパー)つける予算あるならそんくらい切れよ!と内心でツッコんでおいた。
そんなこんなで日没過ぎてもしばらく走り続け、適当なキャンプ地を見つけて荷物を下ろす。
…と、なんか尾灯がやけに明るいと走行中感じていたのだが、ここにきて理由にやっと気づく。
なんと尾灯のカバーがなくなっているではないか!
ねじ穴がスカスカになってたのは気づいていたが、放置していたのがまずかったか。、
バイク万全でマニラまで突っ走る予定だったのに早くもケチがついてしまったが、走行に支障はないのであきらめてこの日はさっさと寝た。
8月29日
~バークリーホームステッドロードハウスから40㎞ 走行691㎞
最短ルートを通れば、スリーウェイズの分岐でスチュワートハイウェイからバークレイハイウェイに乗り換えるのだが、今日は少しだけ足を延ばしてデビルズマ―ブルズという奇岩群を見物。
道は相変わらず単調で、かわり映えしない風景が続く。
午前中にはテナントクリークを通過。人口3800人、マニラと大して変わらない人口だが、これでも(準)州で4番目の人口。
さらにしばらく走って、デビルズマ―ブルズに到着。
成り立ちについての詳細は→http://www.goyouki.com/info/tiiki/DevilsMarble.html
いや、さすがにデカい。日本みたいに地震が多い場所ではすぐに転がってしまいそう。
これくらいなら、転がせるか…?
気合を入れて押してみる。表面はざらざら。岩石に関しては素人だが、花崗岩ということはなんとなくわかる。
押したら見事に転がって、落ちた衝撃で真っ二つに。(嘘です)
あたり一面こんな岩だらけ。
20分くらいで見学終了。
暑いのでさっさと来た道を戻る。
テナントクリークで食料と燃料の補給を済ませて、ひたすら進む。
デビルズマ―ブルズからスリーウェイズまでは約2時間だが、買い物していたおかげで着いた頃には4時過ぎ。
スリーウェイズを過ぎて、夕日を背に浴びつつイヤホンで音楽を聴きながら快調に進む。
日没前後に次の給油地、バークリーホームステッドロードハウスに立ち寄る。
ここの給油所は夕方以降は店内でクレカを提示しないとポンプが動かない形式。(入れ逃げを防ぐため)
自分は以前に経験済みだったので、ポンプに触る前に店内で話してスムーズに事を済ませる。
同じタイミングでスタンドに入ってきた、ワンボックスカーでラウンド中っぽいねーちゃんがいたが、勝手がわからず不思議そうな顔をしているのをみて、ちょっとした優越感にひたる。
この後少し走って終了。気づいたらこの日だけで700㎞近く走っていた。
8月27日
ダーウィン~パインクリーク 走行距離200㎞くらい
パースからダーウィンまでの走行距離は寄り道分も含めて約4500㎞。
当然オイル交換をするべき時期なので、朝起きて目星をつけていたバイク屋に向かう。
ついてみるとホンダの系列?でカワサキのバイクのオイルフィルターは置いていないが、近くに卸の店があるらしく、取りに行ってきてくれて予約なしでもやってくれた。
待ってる間に見たホンダCBR125R。帰国したらこれ欲しい。逆輸入車で少し高いけど…。
待つこと約2時間、昼過ぎに作業完了して、すべての荷物を積み込んでいざ出発!
新しいオイルは気のせいかエンジンの回りのいい気がするなあ~などと思いつつ、ハイウェーに乗って速度を上げて…プスン。
っておい!いきなりのエンスト!
セルは元気に回るものの、一向にエンジンがかからない。
いったんはエンジンが回っていて突然かからなくなる現象は、燃料供給が止まったあとにキャブレター内のガソリンを使い切ってしまうとなる現象。
とりあえず燃料タンクを外してチェックしたかったが持っている工具では外せず、自力で問題解決は無理。
幸いバイク屋から1㎞くらいしか離れていないので、なんとか押してもいけないこともない距離。
クソ暑いので正直かなり悩んだが、重い荷物を歩道の隅に置いて、押して行くことを決意。
と、ここでなんと救いの手が!
道路の向かいの中古車屋の親父さんが見かねて話しかけてきてくれた!
事情を説明したら、バイク屋に電話して迎えに来てもらえることに。
以前シドニーでバイク屋に電話したが話が通じなかった経験があり、電話しなくても済む状況ならしないことにしていたのでこれはありがたかった!
ブログ読んでくれた人、ダーウィンで車買う機会があったらこのお店で買ってください!よろしく!
…で待つこと15分、迎えが来てさっきまでいたバイクに戻って見てもらって終了。
めんどくさい荷物の積み込みを済ませて、再度出発したのは2時。
今度は大丈夫だろうと希望的観測をしつつハイウェーに乗って速度を上げたら…また同じところでプスン。
おい!いい加減にしろ!
半ばキレつつ、さすがに今度は自分で電話をかけて回収に来てもらって、みたび同じバイク屋へ。
原因を尋ねると、やはり燃料系のトラブルで、タンクからキャブにつながる燃料ホースがねじれてうまく燃料が供給されなかったらしい。
これなら自分でも何とか直せる範囲のトラブルなのだが、やはり工具不足は痛い。
今度はテストランもしてもらって大丈夫なのを確認し、本日4回目となる荷物の積み込みを終わらせて出発したのは結局4時少し前。
出るとき3度目の正直だ!って言われたが、もはやブラックジョークにしか聞こえない。
不安を抱きつつも、毎回止まったあの場所を無事に通り過ぎようやく前に進めるようになった。
今日は最低でも300㎞先のキャサリンは越えるつもりでいたが、もはやあきらめて旅の装備をもう一度見直すためショッピングセンターで買い物。
実は数日前に、ズボンのベルトが切れて困っていたのでここで購入。
中学時代から使っていたしろものだったが、ついに天に召されてしまった。
この日はキャサリン90㎞手前のパインクリークで終了。
荷物降ろしていたらデカいクモ!が荷物に張り付いていてマジびっくり。
毒持ちだと嫌なので、触らずに追い払って事なきを得た。
後から調べたらアシダカグモという無毒のクモだったが、知識がないと焦る。
走行中に服とかに入り込んでこなくて良かった。
ダーウィン出発!…の前に、今回はオーストラリアを車でラウンドする人々についての考察。
ここオーストラリアでは、国内を車、特にキャンピングカーで旅行することがオージーの年金生活者の楽しみのひとつらしい。
もちろん現役世代で旅行している人も見かけたが、レンタルキャンピングカーの利用が多いようだ。
以下は見かけた旅行者のタイプとスタイルについての私的な考察。
こいつが一番多いキャンピングカーのタイプ。日本で言うところのキャンピングトレーラーはこちらではキャラバンと呼ばれる。
これはフルサイズでハードトップで、重いのでSUVが引いてることが多い。
普通のセダンで引いてるのもたまにあるが、やや無理している感じがしないでもない。
利点は、簡単に切り離せるのでスーパーに買い物に行くときに便利。
こういったキャラバンは価格が高いので、たいていは裕福そうなオージーの年配の夫婦が乗っていたな。
写真は無いが、半分くらいの高さで、普段は上半分は折りたたんでいて使用時に上に背が伸びるタイプのもよく見かけた。
トレーラータイプが一般的でない日本ではキャンピングカーと言えばこのタイプが主流。ちなみにこれはレンタル。
見ての通り大きいのでスーパーの駐車場には気軽に入れない。
が、裏ワザで普通車をけん引するという荒業をする人も!(写真はトレーラーに載っているが、直接けん引してるのも見かけた)
このタイプも比較的シニア層のオーナーが多かったが、現役世代がレンタカーでっていうパターンも存在するようだ。
ちなみに、普通のハイエースとかエスティマ改造のキャンピングカーも存在し、レンタルが多い。そして年齢層もぐっと若くなる。外国人も多いようだ。
そのほか、年式の古そうなワンボックスを若者数人で所有し、ベッドを積めるようにして車中泊仕様にしているのも見かけた。おそらくワーホリ仲間でラウンドしているのだろう。。
一見して普通の荷物用トレーラーだが、広げるとテントになるタイプの物も存在する。
こちらではこれがキャンピングトレーラーと呼ばれる。
以前載せたレトロカーのトレーラーもおそらくこのタイプ。
こういった快適な装備を持たない旅行者はもちろんテント。
近くに大きな町が無いような場所ではロードハウスに泊まれ、テントサイトがあることが多いので写真のようにそれを利用することもできる。
テント泊するのはリッチでない人間か、トレーラーが通れないような悪路を行きたい物好き。
ちなみにモーターバイクでラウンドするのも、よほどの物好きで、結構な希少種。すれ違うのは場所によるが一日3、4台かそこら。ついぞ同じところでキャンプするモーターバイク乗りには出会わなかった…。
自転車でラウンドするのはもはや冒険家。それでも数名見かけた。北西オーストラリアは暑いだろうに…。
さすがに、徒歩でリヤカーとかは今回見かけなかったが、過去にはいたらしいというウワサ。
交通量の少ない北西オーストラリアではすれ違うと手のひらを向けてあいさつしてくれるドライバーが多かったな。
自分も、希少なモーターバイク乗りには自分から積極的に合図を送っていた。
同じ道を走るという仲間意識か、なにげにうれしくなるんだよね。
ダーウィン、その都市は州の人口の6割が住む人口12万5千のノーザンテリトリーの州都である。
最短で大陸一周するなら必ずしも立ち寄る必要は無いのだが、ちょうどオイル交換の時期なのと、なんと言っても戦争博物館があるのでぜひ来たかった。
8月25日朝、テントを畳んで北へとバイクを走らせる。
残り距離は300㎞もないので昼くらいにつく計算。
湿度があるのか、久方ぶりにまともな積雲を見る。
乾季だが海の近くまで来ていることを感じつつ、ダーウィン着は12時半。
ナビで市民図書館の位置を確認して、向かうもあいにく土曜のため12時で終了していて残念。
だがここは州都、州の図書館もあってそちらは都合よく土日も1時~5時まで利用可能。
PCの充電がてら情報収集し、きっちり5時に帰る。
久々にキャラバンパークを使うつもりだったが、あいにくとどこも満杯なーので断念。
結局また適当な空き地でキャンプだった。
翌日は午前中戦争博物館見学、午後は図書館で終了となった。
以下は博物館の写真。200枚以上撮ったが、その一部をマニアな解説付きで紹介。
記念すべき(?)オーストラリアの地に降り立った捕虜第一号、豊島一(トヨシマハジメ)。ダーウィン空襲の際に搭乗機の零戦に被弾し、ダーウィン北のメルビル島に不時着した。のちに収容所脱走事件が起きた際に撃たれて亡くなった。
最初のダーウィン空襲の際に撃沈された米軍のクレムソン級駆逐艦、ピアリーの模型。一次大戦直後に大量建造された内の一隻で同型艦数なんと156隻。某Uボートゲームで米国東海岸に行くと高確率で出会った思い出が。
日本海軍の25番250㎏爆弾。愛知九九式艦爆の主兵装で、高さは俺の身長と同じくらい。
ダーウィン空襲の後に配備された豪空軍のスピットファイアMK5。あごのように見える防塵フィルターのせいで空気抵抗が増加している上に、英本土から持ってくる際の船旅の間にエンジンその他劣化していて大変だったらしい。
さてこれはなんでしょう?ちなみに魚雷じゃないです。正解者にはオーストラリアへの往復航空券を進呈…しません!反転して解答→パラベーンと呼ばれる、機雷(船に対する地雷のようなもの)を取り除く器具。現代の掃海作戦でも使う。
B24爆撃機の機体下部回転砲塔。中に人が入って操作する。足伸ばせないので長時間は無理だな、少なくとも俺には。
逆さ鏡?実はサーチライトの凹面鏡部分。直径が2mくらいある。
軍票と呼ばれる戦時通貨。下はマレー半島で使われた日本政府発行の100ドル軍票。
20センチぐらいの口径の海岸砲のダミー。戦時中はもちろん本物があったのだろうが…。
ボフォース40mm高射機関砲。射程が長く故障も少ないため大戦中の高射機関砲の中では最優秀と評価される。発展型が現在の日本の巡視船にも搭載されている。
日本軍機動部隊の模型。手前の空母は赤城で奥が蒼龍。ってかコレ日本のプラモのウォーターラインシリーズ。昔作った思い出が…。
日本軍の九二式重機関銃。映画「硫黄島からの手紙」の中で「(弾が)たんねーよ!弾もっとよこせ!」って嵐の二宮和也が言われてたのがコレ。
日本軍の九六式軽機関銃。こちらは三八式歩兵銃と弾が共用。当時の「軽」機関銃は10㎏くらいが相場。他に弾とか持って歩いて行軍するだから大変だったろうなぁ。
三八式歩兵銃。当時の主力ライフルだが、弾の口径が他国のものより一回り小さいため威力不足とされ、日中戦争の最中にもかかわらず新式の九九式小銃を採用、切り替え中に太平洋戦争始めるとか当時の日本はすごいな。まあ、イタリアとかフランスとか他国も同じことしているが。
九四式拳銃。解説に南部式と書いてあったが野暮な突っ込みはしないでおいた。これも「硫黄島からの手紙」で登場。
十四年式拳銃。俗に南部式と呼ばれるのはこちら。前述の豊島一の所持品。
こちらはオーストラリア軍の歩兵銃シリーズ。上から順にステアーAUG、FN FAL、リー・エンフィールド小銃、マルティニ・ヘンリー銃、スナイドル銃、フリントロック(火打ち石)式銃。オーストラリア軍が「オーストリア」製のステアーAUG採用ってもはやギャグ?でないのか?
通しての感想は、キャンベラの博物館より狭いし有料(15ドルくらい)だが、日本軍関係の収蔵品はこちらのほうが充実しているので来る価値はあり。
日本が再び侵略戦争を起こすことは(少なくとも自分が生きているうちは)まずありえないが、どっかの、ジャイアンみたいな国が当時の日本と同じ道を歩んでいるように思てしまう今日この頃。
歴史に学んで、間違っても当時の日本と同じように戦争を始めて欲しくないと心底思う。